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無知の知

今日はPCの仕事が一日忙しかったですねぇ。授業が4本に電話での相談が2本、PCの修理が1件に
新規プロジェクトの打ち合わせと息つく暇も無い感じでしたね。まぁ、こう言う時を大事にしないとね。どれも
疎かにしないでやるってのはそれなりに大変なことなんだけど、それが信用や信頼になるんだしね。
ビリヤードは閉店間際にぱれっとさんとセットマッチを1回。3番テーブルは相変わらずしんどいなぁ…
もっとも精度の問題だから自分自身に問題があるんだけどね。そうそう、話しは違うんだけどこの前に
ちょっとした会話の中で「難しくないのに取りきれないのはなぜか?」と言うような話になったんだけど、
結論として難しい場所に気付いていないんじゃないか?ということになったんだよね。哲学者のソクラテス
じゃないけど「無知の知」ってのと似たようなことがビリヤード、いやもっと大きく言っちゃえば人生の中で
結構重要な要件のような気がする会話でしたね。話しが大きくなるといけないのでビリヤードに限定して
みましょうかね?「こんな易しいのに・・・」良く聞くセリフです。でも、それって本当に易しいの?ってことが
事の本質です。「だって同じ配置だったら楽々ポケットするよ」そうかもしれないけどね。それはゲーム中に
そのシュチュエーションでも簡単だと言い切れるんだろうか?すなわち、本当は危険を孕んでいるのに
それに気付いていないでショットしているんじゃないか?ってことです。これが俺の良く言う経験って
奴かもしれません。よく俺も言われることに「それってどうやったんですか?」ってのがあります。理屈なり
やり方なりを説明するのは簡単です。でも、それを出来るようになるまで俺は練習したはずなんですよね。
それを1、2時間練習してたまたま出来たのを出来たとか、出来なかったら俺には向かないとか言うのは
違うと思うんですよ。これは人からの聞きかじりにも多く当てはまります。「俺はこうだと思うよ」という事に
対して「でも、○○さんはこう言ってたよ」そう、違う意見はあるんです。どちらが正しいというのではなく
純粋に考え方が違うことだってあるんです。で、人の言ったことをそのまま言うというのは自分で理解した
つもりになっているだけで実際にそれが何であるかを理解していないで反論している訳です。正直言って
自分で自分の実力を見誤る典型です。自分の実力を周りが見ている実力よりも高いと思う人に俺の知ってる
限りにおいてうまい人はいません。うまくなった気になってるだけな訳です。これが最初に出た無知の知に
通じる部分ではないかと思う訳です。すなわち解らないことは解らなくて良いんです。それを理解しようとする
努力とビリヤードで言えば練習と経験が解決に導いてくれるのだと思います。俺もこんなHPを運営してると
論理派のような錯覚に陥ってしまいそうですが、口ばかりじゃなくてそれを実践することこそ実はもっともよい
教科書なんだろうな。と思う訳です。理屈だけでビリヤードが上手いんだったら物理学者が一番うまいし、
パワーだけだったらウェイトリフティングやプロレスの選手に適わない理屈です。そんな訳ありません。
俺はビリヤードという競技をビリヤードを上手くなる為に今までもこれからも練習するんですからね。

今日のどう?
マスワリ 1回(セブン3番テーブル)

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2006年04月13日 02:32に投稿されたエントリーのページです。

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